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―流星の追憶― 

夢の通い路

こんばんは、星詩です。
本日は久しぶりにSSをば。

しぐれさんのブログで連載されている「終焉ミソロギア」の、
最終章における、うちのクレスとネウのやりとりを妄想してみました。
クレスがネウに協力を仰いだ理由は、多分こんな感じだったんじゃないかなあ……多分……。

二人が会話する小説を書くのは本当に久しぶりで、ちょっとこそばゆかったです笑。
それでは、追記からどうぞ。

(作業中のBGMというか、ネウの歌については、坂本真綾さんの「THE GARDEN OF EVERYTHING」みたいな旋律をイメージしています。歌詞がまた良いんだよね…Here you are / Daylight's star / Made out of miracles....)

 
* * *


 繰り返し、繰り返し、いま自分が居る世界から、かつて暮らした懐かしい世界へと夢路を辿るなかで、分かってきたことがある。
 夢というものはとても曖昧だ。すべて自分の思い通りにゆく夢なんて滅多に見られないし、自分のものとは思えない夢に迷いこむこともしょっちゅうある。それでも、懐かしいあの世界——明けない星空に包まれていた草原や、鷺の友人たちが住まう世界へは、気配や目印を追ってゆけば、かならず辿り着けるのだ。

 眠りの海に落ちてまもなく。ブルーシア島へ続く夢路が健在であることを確かめた上で、クレスは別の道を辿っていた。
 このまま真っ直ぐブルーシア島へ戻ったら、きっとまた、情報を喰らう影に襲われてしまう。真名を奪われることだけは避けなければいけない。あの世界の理が届かない場所——ブルーシアの夢の中へ辿り着くまでは。
(ここから直接、夢の中へ飛びこんでしまえたら良かったんだけど)
 彼女と縁深いブルーシア島を経由するならばともかく、ここには何の気配も目印もない。難しいだろう。だから——
 どうか間に合いますようにと祈りながら、クレスは川の流れに沿うようにして、かつての自分だった草原へと続く夢路を下って行った。この道は何度も通っているから、まず迷うことはない。
 すぐに、両足が地面に着いた。身に馴染んだ、どこまでも続く広い草原。いまはちょうど朝方のようで、夜露に濡れた緑がきらきらと輝き、空の低い位置に太陽が掛かっている。
 そして、西の空には、傾いた白い月。

 彼の助けが要る。

「……まだ君が、僕のことを覚えていてくれますように」
 そうでなければ、きっと辿りつけない。
 朝に照らされた月を見据えて、川面を飛ぶ水切りのように、ふたたびクレスは意識をまどろませる。
 自分はもう、この世界の裏側と境界を重ねていた存在じゃない。それでも。
 この草原を旅立ってからの長い年月、彼と擦れ違うような気配は、ときどき感じていたのだ。しんと静かな新月の夜や、こんな明け方の銀の月光の中に。
 それはとても見つけづらい気配で、クレスは何度も夢路を見失っては、草原に戻ることを繰り返した。真昼に月の明かりを拾い上げる方がまだ簡単だったかもしれない。焦る心を深呼吸で宥めて、何度目か、もう一度ゆっくりと瞳を閉じる。あの日からずっと離れていた、もう一人の自分を、改めて思い描く。あのアーチリュートの音を。目を閉じたまま、クレスはそっとミラの弦を撫でた。
「たぶん君の方がネウを見つけられる。お願い。僕を連れていって」
 今度こそ、と願ってクレスは意識を手放した。
 草原のざわめきや夜露の匂い、背中に当たる朝日の暖かさが遠ざかり——一瞬、浮遊するような感覚があって、周囲の空気が一変した。目を開けなくても分かる、肌を包みこむ深い霧、豊かな森が奏でる葉擦れの歌。
 そして、懐かしい、もう一人の自分の気配。
「着いた……」
 ほんとに出来るなんて、とクレスは小さく笑った。彼とはもう二度と会えないものとばかり思っていたのに。
 ここはネウの夢の中だ。彼のことだから、きっと、夢の中ではもっと自由な姿で歌をうたっているだろう。普通に探したって見付かりっこない。クレスは息を潜め、耳を澄ませて、ミラを爪引きはじめた。自分が来たと知らせるには、これが一番早いはずだ。
 弦の響きは、霧の向こうへ吸いこまれるように消えてゆく。鳥も獣もみな寝静まっているようだった。もしくは、この夢の中には彼以外の生きものがいないのかもしれない。……後者なのだとしたらいくらなんでも寂しすぎる。別れてからの日々、ちゃんと彼は世界に出会えたんだろうか……。
 心配しはじめた頃、静寂から反響が返った。ミラよりも低く深い、アーチリュートの音色。音が聞こえる方向へと、クレスは早足で歩きはじめた。
 進むにつれて霧が薄れてゆく。明け方の朱を帯びた光が木々の間からこぼれ、アーチリュートの響きに水音が重なった。やがて湖の岸辺に行き当たり、クレスは水面を覗きこんだ。音楽はここから聞こえてくる。よくよく目を凝らすと、風が形作る細波と戯れるようにして、歌うような波紋が点々と浮かんでは消えている。音の出所はあそこらしい。
 ちょっとだけ躊躇ってから、これは夢だと思い直す。そして、思ったとおり、湖に踏み出したクレスの足先は、沈むことなくふわりとその身を持ちあげた。
 足跡の代わりに波紋を後に残して、クレスは水中から浮かびあがる音の側まで歩いていった。深く澄んだ水の奥に見えるのは魚ばかりで、どこにも彼の姿はない。本当は居るのに見えていないのか、それとも、魚や水の姿で歌っているのか——ネウなら有り得る——分からないが、どちらにせよ、声は届くはずだ。
「ネウ」
 名前を呼ぶと、足元の水面にぱっと幾重もの波紋が立った。
 水鏡に映っていたクレスの姿が揺らめいて、二重になる。あの頃のネウよりも大人になった自分がこちらを見つめ返し、そして、揺れる像の片方がふいに鏡の役割を放棄して、眠たげに目を擦り、眉根を寄せた。
「今日の夢は変わってるなあ……。霧の森で眠るとこういうことになるのか」
 まるで隣に立っているかのように、耳元で声が響く。記憶の中とそっくり同じ、自分のものよりも低く深い声。心地よく眠っていたところを呼び起こしてしまったせいだろうか、どこか寝ぼけた響きが可笑しくて、クレスは微笑んだ。
「久しぶり、ネウ」
 水面の向こうで、ネウが目を瞠る。
「クレス? 驚いた。きみ、本当にクレスだね? なんで僕の夢の中に」
「頼みたいことがあるんだ」
 湖上に膝を付き、自分と同じ空色の瞳を覗きこむ。本当はゆっくり色んなことを話したかった。そちらの旅路はどんな風か、元気で過ごしているのか、辛いことは無かったか……でも、今は時間が惜しい。クレスは率直に切り出した。
「少しの間でいいから、僕の記憶を預かってほしい。そして、僕が忘れてしまったときに、思い出させてほしいんだ」
「……君はもう老境に入ったのかい? そりゃ時間の流れは違うだろうとは思ってたけど」
「僕はまだ二十三だよ! そうじゃなくて、」
 ネウがくすくすと笑い、呆れたように目を細めた。
「昔みたいに、互いの記憶を夢に見ることも今はないんだから、ちゃんと伝えてくれなきゃ分からないよ。——クレス、水面に手を付いて。記憶を思い起こして」
 言われるままに手のひらを置くと、水鏡が揺らめいた。水面の向こうでネウも同じように手のひらを広げ、境界が重なりあう。
 そのまま、クレスはブルーシア島での出来事を、すべて胸に思い描いた。島への道中も、友人達から聞いた脅威も、黒き魔女の物語も、そして、あの秘密の水族館から目覚めなければいけなかった顛末も、魔女の真名も、幼い自分の幻も。
 回想に呼応して、透明だった湖面が水彩画のように色づき、クレスの記憶を次々と映し出していった。様々な場面が現れては消えてゆく。
 やがて水面は再び静けさを取り戻した。夢って便利だなぁ、とクレスは胸の中でそっと呟いた。というより、この夢の主はネウなのだから、彼の想像力がすごいというだけかもしれない。
 水面の向こうで、手のひらを曲げ伸ばししながら、ネウが溜息をついた。
「なるほどね。だいたい了解したよ。……何年経っても君は変わらないな。僕には相変わらずよく分からないけど」
「……そう」
「とはいえ、あの頃よりは、多少、分かるつもりだよ。君のその願いは、友人のためか」
「うん。僕はもう、鷺という存在ではないし、立場も違うけれど……みんな大事な友達なんだ。それに……ブルーシア島は、あの世界は、僕が僕になった頃からずっと何度も通った、大切な場所でもあるから」
 クレスは立ち上がった。
「だから、絶対に。ブルーシアに真名を伝える。彼女の夢の中に辿り着く前に、記憶を奪われそうになっても、もう引き返さない。ネウ、その時は——」
「僕が覚えておく。思い出させる。それで良いんだろう?」
「……ありがとう」
 安堵のあまり、少しだけ声が掠れた。これで大丈夫だ。何も恐れずにブルーシア島を目指せる。
 クレスは目を閉じ、改めて、ブルーシア島へ続く夢路を辿ろうとした。目印を追えば、一旦草原に戻らなくても、このまま直接向かえるだろう。島に着いたら、出来るだけ早くブルーシアのところへ——
「クレス」
 ふいに、揺り起こすように名前を呼ばれて、クレスは目を瞬いた。周囲の風景は変わっていない。まだネウの夢の中にいる。急がなくちゃいけないのに、とクレスに言わせる間もなく、水面の向こうでネウが首を傾げた。
「覚えておくだけで良いのかい?」
「え?」
「他人の夢を訪れるなんて、初めてなんだろう? 夢は曖昧で、魅力的で、そして危険なものだ。ひとの無防備な心なんだから。僕が今見ている夢のように、穏やかな凪の世界だとは限らない。それに、君は一度やらかしてるじゃないか、あの不思議な古城で」
 懐かしい友人のこと、そして彼の嘆きに同調してしまったときのことを思い出す。言い返そうとして——出来なかった。朝方、ブルーシアは会議の場で沈みきっていた。辛く哀しい目に沢山あっただろう彼女の見ている夢が、悪夢でないとは断言できない。その悪夢の中で、自分を保っていられるかどうか……。
「……それでも」
「行かない、という選択肢はない、って言うんだろ。……良いさ、君が僕に勝手な頼みをするのは、これが初めてじゃないしね。僕の夢を使えばいい」
 思いがけない提案に、クレスは目を丸くした。ネウは平然と言葉を続ける。
「彼女の夢という未知の世界を訪ねるよりは、僕らの夢に彼女を招く方がきっと確実だ。夢の主は僕だから、悪夢や不条理の邪魔が入らないように、少しの間なら安定させておくよ」
「ネウ……」
「うん?」
「いいの?」
「今回は特別だ。君も知ってるだろうけれど、僕は物語が好きだからね。良き物語のためなら協力するよ。さて、僕はお客を迎える準備をしなくちゃ」
 水面の向こうで、ネウは演目を始める吟遊詩人のように会釈すると、ふっと掻き消えた。入れ替わるように、どこからともなく、アーチリュートの調べと穏やかな歌声が響きはじめる。
 自分しか映らなくなった水鏡を、呆気に取られて見つめていたクレスの耳に、歌声混じりの囁きが聞こえた。
「帰りはこの歌の気配を辿れば、迷わないはず。さあ早く」
「ネウ、なんかその、もしかして、ちょっと変わった?」
「誰かさんのおかげでね」
 非難するような、からかうような、掴み所のない声音は相変わらずだ。クレスは苦笑して、今度こそブルーシア島へ飛んだ。


* * *


 そして。
 ブルーシア島を飛翔するクレスの意識を通して、ネウも夢うつつに外の世界を感じていた。
 クレスが間一髪のところでブルーシアを夢の中へ招いたそのとき、ネウは周囲に満ちる無数の絶望と嘆き、哀しみ、悪夢の息遣いを見た。赤い光に輝く錘、もとい、魂たち。ブルーシア島に巻き起こった惨劇で命を落とした、あるいは傷ついた人々の、抜き取られた物語。
(……これはこれは)
 ネウはひっそりと笑みを浮かべ、錘たちを眺めやった。正確には、錘を率いる者を。
(明けない夜そのものだった僕が言うのも何だけれど、これはあまりにも趣味が悪いね。彼らの物語にも、穏やかな歌声は確かに響いていただろうに……)
 彼らはきっと夢を見ている。暗い暗い、新月よりも暗い夢を。
 その夢が、どんな光も届かない暗闇に包まれていたとしても——歌は響くだろう。
 ネウはアーチリュートを爪弾いて、歌いはじめた。自身の夢の中から、彼らの夢の中へ。柔らかな、夢見るような音楽を。
 かつての自分だったなら、こんな光景を前にしても、一瞥しただけで何もしなかったかもしれない。……いや、どうかな。吟遊詩人が歌うことに理由は必要ないのだから、同じようにしただろうか。
 いつぞやの、必死の形相で願いを歌っていた、もう一人の自分を思い出す。君がこのまま一人なのは嫌だと、勝手な祈りと心を押し付けてきた彼なら、あの錘たちの嘆きに胸を痛めて、歌いかけるに違いない。ならば自分もそうしよう。

 僕らは、生まれる前から夢を見ていた。夢の中で生まれた、と言った方が近いかもしれない。どこまでも続く真っ白な夢。その哀しみを知っている。そして、そんな物語にも、いつかは終わりが来ることも。
 ——そう、君の夢にも、朝は訪れる。

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